シンボルマーク差し替え事件と統一マーク制定
普段は温厚な石坂会長が
珍しく語気を荒げた。

この丸が日の丸なら世界の上に
あぐらをかいてしまう。

昭和41年2月23日 
東京数寄屋橋松田ビルにある日本
万国博覧会の東京事務所は
三時に発表されるはずの
シンボルマークを取材するマスコミで
ごったがえしていた。

しかし時間が過ぎても会は はじまらなかった。

やがて現れた協会からの発表は
本日の発表は中止するというものだった。

専門家の指名コンペで最高点をとり
幹事会もパスした作品が
会長の一言で ひっくりかえったのだ。

製作者の福岡市の西島伊三郎氏は
全体が世界を象徴し東と西との世界が
一つになって未来の世界を作ると説明した。

結局マークは再び 選びなおされる事となった。

あたらしくやり直す際に
JEXPO'70という期日を盛り込むように
製作条件の変更依頼が各デザイナーの元へ届いた。
   (のちに J は 外される )

選ばれたのは 大高 猛氏の作品で 
サクラで象徴される日本。

この国家のイメージを生かしつつ
その五つの花びらが5大州
即ち世界を表すとともに 手を取り合って
日本万国博への参加を表現している

中央の丸は日本のシンボル、日の丸であり
周囲の白い部分は発展への余裕と
伸びようとする意図を表している。と説明された。

マーク決定の4月5日は石坂会長が
エリザベス女王から勲章を
もらった日である。

上機嫌の会長のコメントは 
梅鉢みたいで日本的で
いいじゃないか というものだった。

この後 各新聞社の動きが活発になる。

まず朝日がアイデア募集
毎日がテーマソング
    (世界の国からこんにちはが入選)
そして読売は 
それまでオリンピックのように統一マークが
なかった万博マークの公募を打ち出す。

結果約40日間に44628点の作品が集まった。

地球の裏と表を五本の線で表した
上田博義氏と吉村理氏の共同作品や
松島正矩氏の作品などが日本代表として
BIEへ提出された。

結局オーストリアの鳩のマークと
デッドヒートを繰り広げ当時東京教大の
学生だった松島氏の作品が栄冠を手にする
こととなった。

このマークの 円は平和 友愛 
人類の交歓を意味し横に走る線は 
限りない進歩を目指す未来への階段である。
重なり合う六本の線は
全体として向上を示す一つの矢印になっている。

地色は青紫で広大な空 海 世界 宇宙にも通じる。

線に使った白は汚れのない神聖な色であり
平和 正義をあらわしている。と説明された。


このマークは万国博の開会式に
BIEオタカール・カウッキー
副会長より石坂会長に手渡された。

その後会期中は迎賓館に展示された。

会期終了とともに原旗は石坂会長より
BIEのルネ・シャロン氏に返還され
フィラデルフィアにあるBIEで
次の万国博を迎えるための
眠りにつくのだった。




大高猛氏
西島氏の作品
日本の代表作品二点
ブリュッセル シアトル
モントリオールのマーク
松島氏
青が基本色
インフォメーションセンターへ
千里への道
公式記録
少年少女ガイドブック
を参考にしました。

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